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知っておくべき弔辞のやり方とマナー

お葬式では、故人のご親族、または親しかった友人などから弔辞をいただきます。弔辞は故人を贈る最後の言葉ですから、本来であれば故人へのお気持ちやメッセージを自由に贈ってよいとされています。
しかし「忌み言葉」など不吉な意味を連想させる言葉は使用しないなど、いくつか押さえておいたほうが良いマナーがあるのは事実です。そこはしっかりと事前に押さえておくようにしましょう。

弔辞のやり方

弔辞にも決められたやり方が存在します。まずはそれをしっかりと押さえておきましょう。次の①〜③のような手順で行います。

①奉書紙に薄墨で弔辞を書き、それを奉書紙で包む
※近年、白い便箋に弔辞を書き、それを白い封筒に納めるケースも増えてきました。

②お葬式当日に弔辞を取り出し、読み上げる

③読み終わったら、奉書紙(または白い便箋など)で包み直し、故人の祭壇へとお供えする

忌み言葉に気をつけよう

お葬式で弔辞を頼まれたら、気をつけなければならないのが「忌み言葉」です。
「忌み言葉」とは不吉な意味を連想させる言葉のことです。
「忌み言葉」を使わないという背景には「不幸をこれ以上繰り返さない」という意味が込められています。具体的には次のような言葉が挙げられます。このような言葉は出来る限り弔辞では使わないように心がけましょう。

「繰り返し」を連想させる言葉

重ね重ね・重ねて・続いて・またまた・しばしば・たびたび・再び・再三

「死」や「苦」を連想させる言葉

数字の4・数字の9・死ぬ・生きる

宗教的な表現に気をつけよう

お葬式には仏式、神式、キリスト教式とそれぞれ宗教によって形式が違います。しかし、実際の所、故人が一体どんな宗教だったのか? また宗派だったのか? 詳しく分からない場合も多いでしょう。
そのため、ある特定の宗教用語を弔辞で使うのは避けたり、「安らかにお眠りください」など言い換えた方がよいでしょう。
よく知らぬ間に使われているのが以下の用語です。

仏教用語

冥福、成仏、往生、供養

キリスト教用語

哀悼、お悔やみ

一般的な弔辞例

弔辞は「忌み言葉」「宗教的な表現を避ける」など最低限のマナーを押さえていれば、基本的にはご自身が故人を偲ぶお気持ちをメッセージとして自由にお話しいただくのが一般的です。もし、何を話していいのか? 不安になった時には次の①〜③のような構成でお話しするとよいでしょう。また、有名人が亡くなった時にニュースなどで放映される弔辞を参考にしてもいいと思います。

①故人との関係の紹介(※あくまで例です)

◯◯(ご自身の名前)でございます。友人を代表いたしまして、謹んでお別れの言葉を申し上げたいと思います。

②故人との思い出

◯◯(故人の名前)さんとは幼い頃からずっと一緒に遊び回っていた仲でした。小学校、中学校、高校と一緒で「将来はいつかお互いの家族で旅行したいな」なんて話もしていましたね。ついにそれも叶わなくなってしまったことが残念で仕方ありません。

※喪主の挨拶は弔問者に向けたものですが、弔辞は故人への最後のメッセージという意味合いが強いので「◯◯だったね」など故人に語りかけるように話す方が多いようです。

③故人のご冥福をお祈りする言葉

これまで本当にありがとう。どうか、安らかに眠ってください。

有名人の弔辞例

有名人が亡くなると、親しかった友人からの弔辞の光景がテレビで放映されることがあります。もし「一般的な弔辞にはしたくないが、どこまで許されるのかが分からない・・・」そんな不安があるのであれば、次にご紹介するような有名人の弔辞例を参考にしてみるのもいいと思います。もちろん弔辞はご自身から故人へ贈る最後のメッセージですので、ご自身の言葉で語っていただくのが一番です。

藤原竜也さんが蜷川幸雄さんに贈った弔辞

「その涙は嘘っぱちだろ?」と怒られそうですけど。
短く言ったら長く言え、長くしゃべ­ろうとすれば、つまらないから短くしろと怒られそうですけど。
まさか僕がきょうここに立つことになろうとは、自分は想像すらしてませんでしたよ。
最期の稽古というか、5月11日、病室でお会いした時間が最期になってしまうとは・・・。

先日、公園で1人『ハムレット』のけいこの録音テープを聞き返していましたよ。
恐ろしいほどのダメ出しの数でした。
瞬間にして心が折れました。
「俺のダメ出しでお前に伝え­たことは全て言った。今は全て分かろうとしなくていもいい。いずれ理解できる時がくるから、そうしたら少しは楽になるから。アジアの小さな島国の小さい俳優になるなと。もっと苦しめ、泥水に顔をツッコんで、もがいて、苦しんで、本当にどうしようもなくなったときに手を挙げろ。その手を俺が必ず引っ張ってやるから」と蜷川さんそう言ってましたよ。

蜷川さん、悔しいでしょう、悔しくて泣けてくるでしょう。
僕らも同じですよ。
もっと一緒に居たかったし、仕事もしたかった。
たくさんの先輩方、同志の方々がたくさんきてますね。
蜷川さんの直接の声は、もう心の中でしか聞けませんけれども、蜷川さんの思いをここにいる皆でしっかりと受け継いで頑張っていきたいと思います。

気を抜いたら、バカな仕事をしてたら、怒ってください。
1997年、蜷川さん、あなたが僕を産みました。
奇しくもきのうは僕の誕生日でした。
19年間、苦しく・・・まぁほぼ憎しみしかないですけど、最高の演劇人生をありがとうございました。
蜷川さん、それじゃあまた。

森田一義さんが赤塚不二夫さんに贈った弔辞

8月2日にあなたの訃報に接しました。
6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。
あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。
10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。
その時のことは今でもはっきり覚えています。
赤塚不二夫が来た。
あれが赤塚不二夫だ。
私を見ている。
この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。

終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。
自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。
いろんなことを語ってくれました。
お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。
他のこともいろいろとあなたに学びました。
あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。
そして仕事に生かしております。

赤塚先生は本当に優しい方です。
シャイな方です。
麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。
あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。
その裏には強烈な反骨精神もありました。
あなたはすべての人を快く受け入れました。
そのためにだまされたことも数々あります。
金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。
しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。
あなたは生活すべてがギャグでした。
たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。
あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。

加藤茶さんがいかりや長介さんに贈った弔辞

長さん・・・。
ずいぶん急いで向こうに行っちゃったんだね。
あんた、最後の最後に嘘ついたよなぁ。
去年の12月、「大爆笑」のオープニング撮るときに久しぶりに会って、「(ドリフ結成)40周年の記念で『全員集合』と『大爆笑』、この2本撮りたいね」って。

長さん「いいね」って、「やろうよ」って、そう言ったよね。
うちのメンバー4人もその気になってたんだよね。
だけど、その約束を守れないうちに逝っちゃったね。

40年間、一生懸命、一生懸命走ってきて、絶対に妥協を許さない長さんだったよな。
40年間、本当に気を抜かないで、一生懸命やってきたんだと思う・・・。
本当にご苦労さん!これから俺たち、4人でドリフターズまだやっていくよ。
あんたが残した財産だからね。

荒井注さんが亡くなったとき、長さん言ってたよな。
もうじきそっちに行くから、一緒に酒飲もうって。
本当にそんな日が来てしまったな。

だけど、ちょっと早すぎたんじゃないか?
もう少し我慢してほしかったな・・・。
まぁ、2人して積もる話もあるだろうけど、あんまり深酒しないように。

それから、いきなりそっちから「全員集合!」といわれてもオレたちは集まれないからね。
たぶん、そのうち本当に「全員集合」になるかもしれないけど、その時はやっぱり、また向こうでコントをやろうよ。

40年間、本当にありがとう。そしてご苦労さんでした。
何も心配することなく、ゆっくり休んでちょうだい。
さようなら。

近年は、マナーよりも1人1人の気持ちを重んずる風潮が強くなってきていますが「気持ちをマナーで示す」という考え方を持ち、マナーを破ることを不快に思う方もたくさんいらっしゃいます。

そのため、弔辞を頼まれた場合、最低限のマナーはしっかり押さえておくようにしましょう。